ぽっぽ 私の朋輩。17歳の誕生日によせて。
これは、ぽっぽとの想い出です。
長文になります。
。。。。。。。。。
ぽっぽはもうじき17才になる。
1999年7月1日生まれだ。
高知の梼原という山奥の山犬のお父さんと放し飼いの飼い犬のお母さんとの間に生まれた。
5匹産まれて、ぽっぽだけが女の子だった。
兄弟たちよりひと回り小さくてダンボールの中で押しつぶされそうだった。
先代の仔が虹の橋に旅立って、我が家のおばあちゃんは消沈していたのだがぽっぽを迎えて3日もするとメロメロになった。
その頃、私は安芸市という高知東部の太平洋側の海沿いの家に住んでいたので、ぽっぽとの散歩はいつも砂浜をひたすら歩いた。
その日は、凄く波が高くて波音も大きかった。
ぽっぽはちょこちょこ私の後をついてきてたのでリードはつけなくても大丈夫だろうと過信してしまった。
大きな波音がザッバーンと押し寄せ、前を向いて歩いていた私はとっさに後ろを振り返った。
大きな波音がすごく怖かったのだろう。
すでに、何メートルも先を必死で走っているぽっぽがみえた。
誰もいない砂浜で、大声で呼んでも波の音にもみ消され、走っても追いつけず、ぽっぽの姿はあっという間に見えなくなった。
はぐれさせてしまったのだ。
その日は夜になっても自転車に乗って町中を探した。
交通事故にあってはしまいか、どこかの材木の下で出られなくなっているのではないかとありとあらゆる所を探した。
次の日保健所にも電話をし、生後3ヶ月の雑種の仔犬で、茶色の毛をしている事、細くて鈴の着いた赤い首輪をしている事を伝え連絡を待った。
探しています。とチラシも作った。
小さい町に300枚のチラシを配った。
4、5日すると何人かの方から電話をいただいた。
ぽっぽの特徴に良く似た自宅からすぐの浜辺で学校帰りの子供たちが連れていたというのだ。
無事なのか?
無事であってほしい。
やきもきしていると歩いて5分の場所にある石碑屋のご主人から電話をいただいた。
雄犬と雌犬に連れられて歩いていたというのだ。
しかも朝方何度も見たと。
暗闇に落とされた私の心に一筋の光が射した瞬間だった。
その日から朝昼晩時間を見つけては探しに行った。
夜中に真っ暗な浜辺を探したりもした。
8日目の朝早く石碑屋のご主人から電話をいただく。
『今朝も同じ場所で3匹がいたので保護しようとしたが逃げられてしまった。赤い首輪に小さい鈴がみえたが、そんな首輪だったか?』
『はい!そうです。その首輪です!』
ぽっぽに間違いない。
泣きそうだった。
この近くに居るのだ。
一緒にいるのは放し飼いなのか?野犬なのか?
とにかく、とにかくぽっぽは生きてる。
ぽっぽのタオルケットを玄関の外に置き、ぽっぽと遊んだおもちゃの縫いぐるみを
幾つも家の前に置いた。
匂いで我が家をみつけてほしかった。
ぽっぽが居なくなってずっと庭の門扉も開けたままにしておいたので、家の近くに来たらわかるはず。
幼いながらにも備わっている帰省能力に頼るほかなかった。
10日目の朝4時すぎ。
奇跡が起こった。
玄関の引戸をコリコリ掻く様な音がして目が覚めた。
2階から駆け下り引戸の鍵を開けた途端、黒いかたまりが私のヒザに飛びついた。
ぽっぽだった。
小さく小さくなって、ホコリまみれで真っ黒になって、ネズミみたいになってたけどぽっぽだった。
抱っこして号泣した。
涙が止まらなかった。
お婆ちゃんの所に連れて行ってまた2人で号泣した。
お水をあげると、いつまでも飲んだ。
すぐにおじやを作って食べさせた。
しばらくすると覚えたばかりだったオシッコシートでうんちをした。
海の小さな石と草しか出てこなかった。
胸が苦しかった。
ぽっぽ、ごめんよ。
ほんとうにごめんよ。
私の過信でこんなめに合わせてしまったことが辛くて辛くて仕方なかった。
次の日、事情を知っている獣医さんに観てもらって異状なしと言ってもらった。
『犬は群れて仔を守るのが習性だから、野犬が守ってくれたんだねぇ。』
ぽっぽを守ってくれた犬たちにどれほど感謝したかわからない。
高知の小さな町の優しさに心から感謝した。
どこかで水を飲み、お腹が空いたら雑草やしょっぱい石ころを食べていたんだろう。
家の前を流れる用水路の上の格子の蓋が苦手で、いつもその前にくると抱っこしなきゃいけなかったのに、勇気をだしてジャンプしてちゃんと庭に入って玄関の戸をコリコリできたんだよね。
私は、何があってもぽっぽとずっと一緒だと誓った。
初秋になるといつもこの時の事を思い出す。
それからしばらくして私は引っ越しをし結婚をした。今は岡山に定住している。
もちろんぽっぽも一緒だ。
ぽっぽは私の夫の事も大好きで、出張の時は寝ずに帰りを待つ。
私が仕事に出かける時は必ずサッシの向こうからお婆ちゃんとぽっぽが見送ってくれた。
忙しい私たちの代わりにお婆ちゃんの良い話し相手になってくれていた。
妹のアンジーのしつけもしてくれた。
2年前に93歳のお婆ちゃんを天国に見送った後は、サッシの向こうは小さいぽっぽだけが『行ってらっしゃい』をしてくれている。
喜びも悲しみも共に分かち合えた。
当たり前の様に傍にいてくれた。
17年経った今、耳も聴こえず、歯も後ろ脚も弱くっなった。3年前から腎臓も悪くなり、3日に一度夫がが点滴をしてくれる。
2年前からかかりつけのお医者さんに、この腎臓の数値で、こんなに元気なんてありえないと言われ続けている。
夫が作る手作りおじやが大好きで、いつもペロリと平らげお皿まで舐めている。
歳をとっても律儀にオシッコもうんちも決められたオシッコシー卜へ。何事があっても守っていた。
そんなぽっぽが、ほんの最近になって、はじめてオネショをした。
人間の歳にすると90歳を超している。
あたりまえの事だと思う。
今までちっとも手が掛からない仔だった。
オネショでもなんでも困らせてくれたらありがたいぐらいだ。
水玉模様の可愛いオムツも用意したからね。
あとどのくらい一緒にいられるかは神様にしかわからない。
昔はぽっぽと離れる事を想像しただけで具合いが悪くなっていた私も歳を重ね、肉親を見送り、逝くものを止める事は出来ない事を知った。
なんとなく、生と死ってそんなに境はないんじゃないのかとも感じはじめた。
最近は、
「お迎えの担当天使さんが来て『おはらぽっぽちゃん』と呼ばれたら元気よくしっぽを振って『わん!』と言いなさいよ。
パパとママは何日も泣いちゃうだろうけど、気にすることは無いからね。
向こうにはお婆ちゃんもいるからね。
天使さんのいう事を良くきいて迷子にならないように。」と始終伝えている。
ぽっぽ、大好きだからね。
ずっとずっと大好きだからね。
いつぽっぽの担当天使がお迎えに来ても悔いがないよういっぱいの愛を伝えよう。
私の傍で、私たちの傍で長い間寄り添ってくれているぽっぽは、人生の朋輩なのだ。
その日が来るまでこの温もりを大切にしたいと思っている。